釧路湿原の成り立ちや環境、見られる鳥などを、釧路支部の拠点である温根内ビジターセンターからお届けします。
皆さんこんにちは。日本鳥類保護連盟釧路支部の本藤泰朗と申します。釧路湿原の北部、タンチョウのふるさと鶴居村に住んでいます。今回の自然発見!では私の職場がある釧路湿原(写真1)についてあまり硬くならない程度にお話をしたいと思います。
一口に釧路湿原といっても自然環境や人とのかかわり、歴史、文化など、そう簡単にまとめることはできないので、釧路湿原の基本的な情報と、私が勤務する温根内(おんねない)ビジターセンター(写真2)周辺の野鳥について、釧路湿原周辺に住み始めて15年目になる私の私見を散りばめながらお話しできればと思います。
「おんねない」とは聞きなれない地名だと思いますが、アイヌ語で大きな川、年老いた川、支流の多い川などの意味があります。現在の北海道の地名はアイヌ語の音に漢字をあてた場合が多く、意味を調べるとその土地の環境や暮らしが見えてきます。
●日本でいちばん大きな湿原
釧路湿原は北海道の東部太平洋側に位置し、釧路川河口に広がる日本最大の湿原です(写真3)。北海道には日本のおよそ8割の湿原があり、釧路湿原はその3分の1を占めるほどの大きさです。1980年には日本で初めてラムサール条約湿地に登録され、1987年(昭和62)には日本で28番目の国立公園に指定されました。その広さはおよそ22,700ヘクタール(国土地理院)という広大な面積を有しています。
釧路湿原は標高が高いところでも10mほどですが高山帯の植物が見られ、ハナタネツケバナやエゾカオジロトンボ、キタサンショウウオなどの氷河期の遺存種と呼ばれる北方系の生物が生息するほか、明治後期に一時絶滅したと思われていたタンチョウが再発見された場所でもあります(写真4)。かつて「不毛の大地」と呼ばれ、人間の役に立たないとされて開発を免れた厳しい環境のおかげで、現在でも釧路湿原には貴重な生態系が残されています。
●最後の氷河期以降
およそ1万前に終わったヴルム氷期以降の温暖化にともなう海面上昇により、海が内陸へ入り込む海進(かいしん)が進み、およそ6000年前には現在の湿原域は海であったと言われています。その後徐々に海水が引き(海退:かいたい)およそ4000年前にはそれまで湾となっていた釧路川河口部が砂州によって閉ざされ湖となり、水生植物が入り込み、次第に泥炭が堆積し、現在の釧路湿原が出来上がりました。
161,719人(2022年3月末)の人口を抱える釧路湿原のおひざ元の釧路市は、年間の平均気温が5.5℃前後で北海道の中でも最も寒冷な地域の一つです。特に夏期は頻繁に発生する海霧に覆われる日が多く、日照時間が短いために気温が上がらず、真夏でも半そでで過ごせる日が少ないくらいの気温です。本州出身の私が釧路市内に初めて住んだ15年ほど前、アパートにクーラーがないことと、窓に網戸がついていないことを不思議に思いましたが、最初に過ごした真夏の夜に窓を開けて寝たところ、夜の間に気温がぐんぐん下がり、翌朝には体が冷たくなっていて風邪をひいてしまいました。そもそも釧路市の夏にはクーラーなるものは必要なく(ひと夏に1週間ほど欲しい日はありますが…)、夏に窓を開け放つ習慣もないので網戸もついていないということを身をもって知りました。最近は暖房機能が進化してクーラーや除湿機能がついているエアコンを取り付ける家庭も増えていますが、冬の暖房は灯油ストーブが基本なのでクーラーのある家庭はまだ少ないのです。以前のエアコンの暖房は外気温がマイナス20℃近くなると停止するという北国としては致命的な性能でした!
「熱帯夜」という言葉とは無縁の涼しい夏の釧路は近年避暑地として注目され始め、本州などから夏の間だけ滞在し、秋になると戻る「長期滞在」が注目を集めています。釧路市では空き部屋を活用するなど、積極的に長期滞在者を支援していますので、興味のある方は「釧路市、長期滞在」をキーワードに検索していただくといろいろな情報が出てきますのでぜひ探してみてください。
話が脱線しましたが、このような「寒い」夏のおかけでコメの育たない釧路湿原は役立たずの土地として放っておかれ、開発を免れることができました。同じ北海道でも比較的暖かい石狩地方では大正時代初頭から水田開発などにより、短期間に湿原のほとんどが姿を消してしまいました。
●釧路湿原の環境
一口に湿原といってもその姿は様々で、一般的に、低層、中間、高層湿原の3つのタイプに区分されます。低層湿原は周囲より若干標高が低く、周囲から栄養豊かな水が流れ込み、ヨシやスゲといった植物が大きく育ちます。このため低層湿原はヨシ・スゲ湿原とも呼ばれ、釧路湿原の80%の広さを占めています。中間湿原は高層湿原へ移行するときの湿原と言われます。高層湿原は周囲より若干標高が高く、雨水や霧、雪解け水によってのみ水が供給される湿原で、栄養状態は極端に悪いのが特徴です。このような貧栄養な条件でも生育が可能なミズゴケなどが地面を覆っているためミズゴケ湿原とも呼ばれ、厳しい条件でも生育できる高山植物などが多く自生しています(写真5)。
私の勤務する温根内には釧路湿原の上を歩ける木道が整備されていて、1周約3㎞の木道を歩くと、低層、中間、高層湿原の環境や、湿原周辺の丘陵地、湿原と丘陵地の境に点在する湧水など、河川や湖沼を除くほぼすべての釧路湿原の環境を間近に見ることができるほか、湿原や草原、森林に生息する多くの野鳥や植物、昆虫などを間近に観察することができます(写真6)。
気軽に湿原内へ足を運べる施設のため、多くの観光客が訪れるのはもちろんのこと、環境教育や調査・研究、ボランティア活動の拠点となっており、ラムサール条約の考え方である「ワイズユース」を実践している重要な場所にもなっています。
●さまざまな野鳥
釧路湿原では一年を通じて様々な野鳥を観察することができます。特に温根内周辺では、木々の葉が開く前の5月初旬から6月中旬までは、多くの野鳥の姿を観察できるおすすめの時期です。
シマエナガ(写真7)やシジュウカラ、ハシブトガラ、タンチョウなどの留鳥、ノビタキやオオジュリン、オオジシギなどの夏鳥、ベニヒワやオオワシなどの冬鳥、春や秋に渡りの途中で上空を通過するヒシクイやオオハクチョウなどの旅鳥が代表的です。
また、多様な環境が存在する温根内周辺では、特に繁殖期にはその環境により、確認できる野鳥が大きく変化します。湿原周辺の落葉広葉樹林内ではキビタキやオオルリ、クロツグミなど、湿原の縁の環境であるハンノキ林周辺ではアオジやウグイスなど、ヨシ・スゲ湿原周辺ではノビタキやコヨシキリ、シマセンニュウなど、ミズゴケ湿原周辺ではノゴマやマキノセンニュウなど、森林を好む種から草原を好む種まで多くの野鳥がみられ、それぞれの環境で繁殖しています。
さらに最近では冬期にクマゲラ(写真8)が温根内木道周辺に滞在しているのが確認できる年があります。大径木を有する深い森に棲んでいる印象が強いクマゲラですが、おそらく分散途中の若い個体が一時的に利用しているものと思われ、春になるとその姿を見ることはなくなります。
このほか、湿原と丘陵地の境に多数存在する湧水地点※は、1年を通じて10℃ほどの水が湧出していて、外気温がマイナス20℃を下回る冬期でも凍結しないため、鳥たちは水中や落ち葉の下にいる生き物を餌として越冬することができます。真冬の湧水周辺ではセグロセキレイやトラツグミなど、北海道では一般的に夏鳥とされている野鳥が温根内では冬期に確認できるほか、タンチョウも採餌に訪れます。
このように、温根内周辺では一年を通じて様々な野鳥を観察することができるので、季節や環境に着目して野鳥観察をすると、一味違ったバードウォッチングを楽しめると思います。
※釧路湿原全体にはこのような凍結しない湧水が多数存在し、絶滅したと思われていたタンチョウは釧路湿原のこのような環境で厳しい冬を過ごすことで乱獲を免れ、生き延びたことが知られています。大正13年に再発見された10数羽のタンチョウは、様々な保護活動により現在では1,900羽を数えるまでにその個体数が回復しています。
【釧路湿原周辺で見られる鳥たち】
釧路湿原の魅力は生物だけでなく歴史や文化などまだまだ興味深いものが語りつくせないほどたくさんあります。これを機会に北海道の東にある日本一大きな湿原へ足を向けていただくきっかけになれば幸いです。その際には釧路湿原を気軽に散策できる温根内ビジターセンターへお立ち寄りください。
プロフィール
本藤泰朗(ほんどう・やすあき)公益財団法人日本鳥類保護連盟 釧路支部長。現在とてものんびりとした酪農風景が広がる人口2500人ほどの鶴居村に住んでいます。日々の暮らしの中にタンチョウが生きる釧路湿原があり、とても過ごしやすい村です。私はこの涼しい環境に慣れてしまい、真夏の本州へ行くことができなくなってしまいました。